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10話 【片趣なり】


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10話 (柾) 【片趣なり】―カタオモムキナリ―



前日に引き続き、今日も食事の約束をしていた相手、三木奈和子がコスメ売り場まで僕を迎えにきた。
時計を見れば13時。もうそんな時間なのかと驚きつつ、商品出しを途中で切り上げた。
昨日はテナントに入っているパスタ店を利用したので、今日は社員食堂にしたいと三木は言う。
断る理由もなかったので提案を受け入れる。食堂へ向かう途中、三木は「ねぇ」と話しかけてきた。
「いい加減、間宮との縁を切りたくない?」
「縁を切るとは? そもそも間宮と縁などないのだが」
「相変わらず淡白ね。いいわ、間宮のことは私がケリを付ける」
「おっかない話だな。何かあったのか?」
「貴方の問題なのに、貴方が介入しないのがいけないのよ?」
「必要ないからさ」
そう、必要ないんだ。禁忌遊びに誘ってもいない間宮、それに三木。
自分の気持ちを押し付けるばかりで、キミたちは僕の気持ちを酌んだことが、多少なりともあったか?
右腕も左腕も引っ張られれば、誰だって痛いさ。
(三木が何を企てているのかは知らないが、物騒なことが起きないよう、気にかけておいた方がいいな)
具体的な計画を用意しているのか、もしくは既に罠を仕掛けているのか。
六感を働かせるまでもなく確信に至ったのは、彼女から妙な自信を感じ取ったからだった。
そう思ったのも束の間、若干三木の足取りが遅くなったような気がした。つられて僕もスピードを落とす。
なぜかその場所はPOSルームの前だった。ガラスを隔てた向こう側、広い室内には、2人の女性がいた。
僕を釘付けにしたのは千早歴。流れる髪は艶めき、その色と同じ制服を着こなしていた。
会話の相手はタイムリーなことに間宮七朝である。千早に仕事の依頼でもしているのだろうか。
視線を感じたのかどうかは分からないが、間宮が顔を上げ、こちらに向き直った。ひどく驚いている。
僕としては『何を大袈裟に驚いているのだろう』と不思議だったのだが、原因は三木にあったようだ。
こちらを見ているとはいえ、睨みつけているのは三木に対してだったからだ。
「……三木、お前、間宮に何した?」
問いかけは無視された。いまや三木の方も、間宮のことで頭がいっぱいらしい。
僕は三木の口が動いたのを、視界の端で捕らえた。間宮に何か告げたようだが、内容までは分からない。
用が済んだのか、三木が「行きましょう」と僕の腕を引っ張る。
「間宮に何を言ったんだ?」
駄目元覚悟の質問だったが、今度は意外にもすんなり教えてくれた。
「あぁ、さっき? ウソツキ、って言ったの」
「ウソツキ?」
「だって間宮は柾と付き合ってるなんて嘘を皆に言い触らしてるのよ。立派なうそつきじゃない。
柾と付き合ってるのは私だっていうのに」
「……」
「あら、何か心配なことでも? 大丈夫、効果は抜群よ? これで間宮は大人しくなるわ」
「どうしてそんなことが分かる? というか、これがキミの言う『ケリ』というやつか?」
「えぇそう。……もう少しよ。あと10分もすれば、全てが終わるわ」
意味深に微笑む三木に、僕は得体の知れない不気味な念のようなものを抱かずにいられない。
「ね、今夜は空いてる? 一緒にお祝いしましょうよ」
「いや、やめておくよ」
僕のつれない返事に、三木は不服そうに「えー?」と唇を尖らしたが、それ以上は追及してこなかった。
「キミも……」
「? なに? 柾」
(キミもウソツキじゃないか。僕はキミと付き合ってなんかいないんだから)
「――いや、何でもない」
三木の言葉を借りるなら、『あと10分もすれば、全てが終わる』んだそうだ。
ならば、いちいち僕が説明しなくとも、時間が勝手に解決してくれるに違いない。

***

食堂に着くと、三木は食券で2人分の食べ物を、僕は自動販売機で同じく2人分の飲み物を買うことになった。
小銭を投入していると、三木に近付く千早歴の姿があった。
この組み合わせには少なからず驚いた。三木と千早だって? 一体どんな接点があるというんだ?
ふと、さきほどの三木の行動が頭をよぎった。POSルーム、千早と話していた相手の間宮。
(まさか三木……、千早を巻き込んだのか?)
あの女、何をしでかそうとしている? いや、既にしでかした後か――!?
注意深く2人を観察しながらホットコーヒーを2つ、持ち帰る。三木は異様なほど機嫌が良かった。
「柾、ほらこれ。やっと間宮から取り返したの!」
その指輪に見覚えがあるのは当然だ。内側の刻印が証拠だった。それよりも。
(間宮から取り返した?)
そもそも指輪が間宮の元にあったことすら、今の今まで知らなかった。
(間宮はどうやって三木から指輪を? 『取り返した』ということは、今まで『奪われていた』のか?)
間宮と三木が直に接触するはずがない。ならば仲介者の存在があったはず。その役目を果たしたのは千早か?
あり得る。相手がおとなしい千早なら、指輪も託しやすいだろう。
(千早が指輪を三木に渡した? 千早はどうやって間宮から手に入れた? 間宮が素直に応じるはずがない)
とはいえ、それ以上は推理のしようがなかった。明らかに情報不足なのだから仕方ない。
そんな蚊帳の外状態の僕だが、1つだけはっきりしたことがある。本当に全てが終わりそうだ。
間宮との縁も、三木との縁も、いまここで綺麗に断ち切れる準備が整ったことだけ、ひしひしと感じていた。
「ありがとう。僕の指輪を取り返してくれて」
三木の手の平にあった指輪を摘まみ、そっと持ちあげる。
(――おかえり)
僕の手元からなくなったのは3ヶ月前だったが、実際最後に触れたのは何年も前のことだ。随分と懐かしい重みだった。
「ま……柾? 何を言ってるの? これは貴方が私にくれたものじゃない!」
「僕がキミに? はて、どこで記憶がねじれてしまったのかな。キミに指輪を贈ったことなど一度もないが」
「柾!」
「これは僕のだ。N.M。……柾 直近(Naochika-Masaki)」
「ど、どういうことよ……」
(やっぱりそうか……)
「キミは勘違いをしている。この指輪は本当に僕のものなんだ」
(本棚に置いた指輪の箱がラッピングしてあったからな。本気で自分宛てだと思っていたのか。だがこれは……)
「これは昔、キミの妹の佐和子が、僕の誕生日に贈ってくれたものだ」
「!!」
「だから僕のイニシャルが彫ってある。……キミは勘違いして、自分に贈られたものだと思ったようだが」
「そ、そんな……」
「本当のことを今までずっと言えずにいたのは、キミを傷付けたくなかったからだ。……すまない」
あのとき三木は、僕が『見るな、触るな』と制止したにも関わらず、好奇心に駆られて小箱を開けた。
そして指輪が自分のイニシャルであるN.Mだと知るや、大はしゃぎして喜んだ。
『嬉しい! 私へのプレゼントね!? こんなに嬉しいのは初めてよ!!』
否定をして水を差すのも憚れ、本当のことを言えずにいたのが良くなかった。
以来、指輪は三木が所有することになってしまった。
「傷付けたくなかった!? もう既に十分傷付いてるわ! 黙っているのが優しさだと思ったら大間違いよ!
指輪を通じて妹の気持ちも厄介払い出来たし? さぞかし清々したことでしょうね! 貴方は鬼よ! 最低だわ!」
(――!!)
それはスイッチだった。ひとによってはそれを地雷というのだろう。
カチ、とONにしたのは三木だ。
触れてはいけない次元に踏み込んできたからには、排除もやむを得ない。
「この件で佐和子を持ちだすのはやめてくれ。不愉快だ」
「妹の贈りものをひとに譲っておいて、どの口がそれを言うの!? 私こそ不愉快だわ!」
「キミこそ、知りもしないくせに」
「は?」
「キミが、僕と佐和子のなにを知ってると言うんだ?」
姉だか何だか知らないが、僕たちの間にあった『情』に関して、誰かが土足で踏みにじっていいわけではない。
(僕が指輪を取られて、何も思わなかったとでも言うのか……!? そんなはずないだろう!)
ぐつぐつと煮え滾る感情――頭に血が上ったようだ。ここまで怒りが込み上げてきたのは中学高校以来かもしれない。
「ま、柾さん! 三木さんも、どうか落ち着いて――」
「千早さんは黙っててちょうだい!」
「皆が見てます。ね、三木さん。お願いですから」
「うるさいっ」
三木が千早の顔を叩いた音は社員食堂中に響いたはずで、ということはかなり強く力を込めたに違いない。
(しまった! 何をしでかすか分からない三木を見張っていなければならなかったのに、油断した――!)
「千早! 大丈夫か?」
慌てて千早の顔を覗きこむ。千早は自分の手で頬を摩っていた。そうすれば痛みが緩和するとでもいうように。
「はい」
いや、ちっとも『はい』という状態には見えなかった。痛みを堪えているのが伝わり、やるせない気分になる。
「……最低なのはどっちだ?」
怒気を孕んだ声で問いただせば、三木はぐっと言葉に詰まったのだった。
三木は恐らく、こうして黙ってる間に自分の立ち位置を把握する努力をしていたのだろう。
「転属願です。受理していただけないなら、辞職願を提出します」
謝罪を選ばず、懇願も選ばず、退陣という道を選んだ。それは三木なりのプライドの表れに違いない。

***

「頬、まだ痛むか?」
斜向かいで座った千早の頬はまだ赤く、僕は手を伸ばした。
千早は瞬時に顔を背けた。
「残念。撫でたかったのに」
虚空をさまよう形になってしまった手で、僕は頬杖をついた。
「そ……そんな冗談を言ってる場合では……」
「いや、いいんだ。終わったんだから」
「え?」
「これで全部、綺麗に終わった。僕にとっては、ちょうどいいタイミングだった」
なんのことだろうと千早は首を傾げている。
「ただなぁ……。
一方通行の愛はときに人を傷付ける。そうなる前に自分でケリをつけなくてはいけないんだ」
分かり合えないことほど怖いものはない。そのことを、僕はいやというほど知っている。
他人の言葉など耳に入らないだろう。相手が想えば想うほど、想われる側は逃げたくなるだろう。
だから、そうなってしまう前に1つずつ、芽を摘み取っていかないといけないのだが。
「あいつにそう叱っておいた分際で、まさか自分が先に同じ間違いを犯すとはなぁ。バレたらマズいな……」
思わず『あいつ』の顔が頭に浮かび、咄嗟に隅へと追いやる。幸いにもすぐに消えてくれたので助かった。
「そうだ。千早さん、これ」
話はこれで終わりとばかりに、コーヒーカップを彼女の前に差し出した。
既に冷めてしまっているが、飲めないことはない。
彼女は何か言いたげな言葉をコーヒーと共に飲み込んだ。
僕は敢えてそれを追及しようとは思わない。聞きたければ聞けばいい。千早になら、僕は素直に話すから。
逆に、僕の本音が聞きたくないのなら、彼女の望み通り、口を閉ざしたままにしておくつもりでもいる。
千早の意思を尊重することが、僕なりの誠意だと思ってもらって構わない。
(よく考えたら、譲歩しまくりだな。これも惚れた弱みか)
千早が聞けば、『そんなこと頼んでません』と言うだろう。
そうだ、これは僕が勝手に決めたこと。
そう思うと何だか滑稽でおかしくて、僕は思わずふっと笑ってしまった。


2006.11.07(TUE)
2018.03.09(FRI)


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